厩戸皇子(うまやどのおうじ)のこと

2023.08.02

近頃は明日香村に行く機会が多くなり、厩戸皇子に思いを馳せる時間が多くなっています。
幼少の砌から頭脳明晰であり「聖徳太子」として世に知られてきた彼は、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)を目指していたのでは、と思えてなりません。

飛鳥の地にて、政争に明け暮れる豪族たちと、その私利私欲の末路をつぶさに見て、争いごとのない世の中をどうやって創ればいいのか。真剣に悩んだことでしょう。
こうした己が苦悩と同じ悩みを持ち、命を懸けてそれを乗り越えようとした先人が、厩戸皇子にとっての釈迦ではないかと。

彼は「和を以て貴し」を命題に掲げ、自らは地位や権勢を求めることを拒んで、その一生を送りました。
ある時には、難波からはるかな海を眺め、自らでは訪ねることのできない遠国へ若き学生たちを派遣する「遣隋使」を着想し、実現しました。
さらには、釈迦への思いを具体化するため、明日香村近くの斑鳩の里に「法隆寺」を、難波には「四天王寺」を建立し、この国に於ける仏教伝播の礎を作っていきました。

全ては平和を尊ぶ彼の想いの成したことなのだと、感じています。

Author|樫井 賢一